3-7 前編……だと? 無印編完結!
アルフに抱かれて医務室へと運ばれたフェイトは、医療スタッフたちの手によってベッドに移され、適切な処置を施されていた。
心電計や魔力値の変動を記録する機械。激しい戦闘行動をしていたうえ、精神的なショックによって自失状態となっているのだ。これらの措置をとって万全を期すのは当たり前のことだった。
それらが終わり、医療スタッフが出ていくと、部屋の中にはフェイトとアルフの二人だけになる。ベッドに寝たままのフェイトを見つめるアルフの目は、心配げに揺れていた。
「……フェイト……」
アルフの声に、フェイトは応えず瞳に意志の光が戻ることはない。その様子をしばらくじっと見ていたアルフだったが、やがてぐっと歯を食いしばって顔を上げた。
「フェイト……あたし、行ってくる。なんだか心配だし、あいつらには恩もあるしさ。ちょっと手伝ってくるよ」
言うと、アルフはおもむろにクロノやなのは達が映っているウィンドウを動かし、フェイトの傍へと移動させた。そして、フェイトからよく見える位置にそれを固定する。
それが終わると、少しだけ笑みを見せてフェイトの髪を撫でる。
「帰ってきて、全部終わったら……あたしの大好きなフェイトに戻ってね。ゆっくりでもいい。これからの時間は全部、フェイトが自由にしていいんだから」
撫でていた手をゆっくりと離す。そして、アルフはフェイトに背を向けた。
「それじゃ、行ってくるよ」
それからは振り返らず、アルフは医務室を出ていく。スライドドアが開き、そして閉まると、部屋の中にはウィンドウから洩れる音声しか残らない。
フェイトはゆっくりと首を動かし、アルフが見やすいように固定したウィンドウに目を向けた。
見ると、クロノがいる本がたくさん置かれた部屋になのは達がやってきたところだった。
『おわ!? なんでお前らがここに来てるんだ!?』
『え、だって……ここ通り道だったから』
『近くを通ったらクロノの反応があったから、一度合流しておこうかと思ったんだよ』
驚くクロノに、けろっとして普通に話すなのはとユーノ。今は一大事かつ敵の本拠地にいるというのに、傍から見ると緊張感があまり感じられない三人だった。
『そうか……ん? 途中のあのデカい鎧達はどうしたんだ?』
『クロノくんが何かしたんじゃないの? ふらふら~ってそこら辺を歩いてたよ』
『あー……俺が目を潰した奴らか』
≪ムスカの真似事なんて暇な鎧ですね≫
イデアがそう言った瞬間、クロノは突然カッと目を見開き、「バルス!」と叫んだ。それにビクッと驚くなのはとユーノ。すまん自重する、と言って謝るクロノ。やっぱり緊張感がないように感じる現場の光景だった。
「………………」
フェイトはその様子をじっと見ていた。
事件の最中だというのに、クロノはなのは達の前でふざけてみせる。なのはとユーノはそんなクロノを見て肩の力を抜いて笑う。そんな様子を、ただじっと見ていた。
『さて……それじゃあお前らは駆動炉の方を頼む。俺は親玉の方に行ってくる』
クロノの言葉に、なのはは苦笑を浮かべる。
『にゃはは、エイミィさんからもう言われてるよ』
『わかった。クロノも気をつけて』
『ああ』
ユーノの気遣いに頷きを返すと、なのはとユーノは部屋から出ていき、一路駆動炉を目指して文字通り飛んでいく。
クロノはそれを見届けると、両拳に纏うイデアを力強く構えて床へと視線を移した。
『……さぁて、それじゃあ行くか』
≪壁抜きなんて、マスターも無茶をしますね≫
言いつつ、その両拳に莫大な魔力が集まっていく。フェイトが知る由もないことではあるが、それは複合術式によって威力を通常よりも高められており、見た目よりもずっとエネルギーを含んだ代物であった。
『どっかの魔王が出来たんだ。俺達にだって出来る!』
≪魔王が何かは知りませんが、確かに私達なら出来ます≫
両拳を頭上に掲げ、がっしりと重ね合わせる。そして両拳脇からドリルを出し、計四本のドリルが天高く姿を現した。
カートリッジをロード。デバイス本体にかなりの負荷がかかるが、イデアはそんな些細なことには何も言わない。そんな相棒に感謝しつつ、クロノは生み出された魔力を練り上げていった。
高密度の魔力が全身を覆い、拳へと一気に集束される。それと同時に、ふわりとクロノの身体が宙に浮き、倒立状態となって天井に足をつける。
両膝を曲げ、全身に力を込める。そして、それを一気に解き放つ。
『鋼拳撃砕ッ!』
≪Attack!≫
アクセルモードを起動させ、その爆発と共に天井を蹴り飛ばして勢いをつけながら、クロノは両拳を突き出した格好で下の階層へと突っ込んでいった。派手な音と瓦礫を書斎に残し、クロノの姿が画面から消える。
「………………」
映像を見ながら、フェイトはクロノに言われた言葉を思い出していた。
自分と似ていると言っていたこと。それから、お前はお前だ、と言っていたこと。
「………………」
画面がなのは達の方へと切り替わる。襲いかかって来る傀儡兵を時に墜とし、時にユーノのバインドやシールドで対処しながら、着実に前へと進んでいく。
そしてそこにアルフの姿が加わる。いくつか三人で話した後、その歩みを再開させる。その様子をフェイトは見続けた。
なのは、ユーノ、アルフ、クロノ。自分がずっと過ごしてきたあの場所で、今戦っている人たち。
クロノは言っていた。誰もアリシアの代わりだなんて思っていない。お前はお前だと信じていると。
涙が流れる。こんな自分でも、信じてくれている人たちがいる。ずっと自分には母さんしかいないと思っていたのに。あそこで戦っている人たちは、自分のことを信じてくれている。
こんな私でも、友達になりたいと言ってくれた子がいる。アリシアのことなんて知らなかった頃から、フェイトという私自身に。
“私という一人の存在”を信じてくれる人たちがいる。それだけで、フェイトは立ち上がれるような気がした。私は私だと信じてくれる誰かがいること。私という意思を認めて、お前はお前だと言ってくれる人がいるなら――生きられる。きっと、生きていける。そう思える。
(ずっと……母さんの言う通りにすることが私の生きる理由だった)
フェイトは起き上がり、枕元に置かれていたバルディッシュを手に取る。
(けど、違うんだ。それじゃ母さんが言っていたようにただの人形でしかない。私は……私だ。アリシアじゃない)
待機状態だったバルディッシュを杖へと変えた。魔力を通し、戦闘の痕を直していく。
(そして、母さんは母さんだ。母さんが何を思っていたのかなんて、わからない。母さんは、私のことが嫌いかもしれない。けど……私は嫌いになれそうにない、かな)
あれだけはっきり拒絶されたというのに、諦めの悪いことだ。けど、それでいいと思う。だって、そう思うことが出来るのが、フェイト・テスタロッサという存在なのだから。
(今までのことをひっくるめて、私は受け入れるべきなんだ。捨てればいいってわけじゃない。逃げればいいってわけじゃ、もっとない!)
母さんに言われるがままにしていた自分も、あの子に友達になってほしいと言われた自分も、アリシアの代わりはいらないと言って捨てられた自分も、今こうして立ち上がった自分も。
全てを認めて信じてくれる人たちがいてくれる。だから、その信頼に応える。今までの自分も全部が全部自分なんだと受け入れてみせる。
そして、立ち向かおう。今までの自分と、逃げだしてしまった現実に。
「……母さんの所に行こう、バルディッシュ。私達は、まだ始まってもいないんだ」
≪Yes,sir≫
変わらずに自分に応えてくれる相棒に微笑みながら、フェイトはバリアジャケットを纏う。
母さんの元へ逃げるんじゃない。向き合うためにあそこに行くのだ。真正面に立って、はっきりと言うためにあそこに行くのだ。
自分は母さんの人形じゃない。私は、フェイト・テスタロッサという名前の、あなたの娘なんだ、と。そう言うために。
「みんなの信頼に応える。そして、私は私だと証明するために」
足元に魔法陣を展開。転送の術式を発動させる。転送先はずっと自分の家だった場所。心を落ち着かせて、向かうべき場所を思い浮かべる。
今までの自分を切り捨てるんじゃない。それだって自分なんだと認めて、今より前に進むために。
「――今までの自分に立ち向かおう」
ついさっきまではなかった強い光がフェイトの瞳に宿る。そして、金色の魔力光を放つ魔法陣がひときわ輝き、フェイトを彼女が向かうべき場所へと送った。
彼女が長く過ごした場所にして、決戦の地。時の庭園へ。
■
――最初、俺が魔法を習い始めたのは、父さんの死が原因だった。
原作を知っていた俺が何もせずいたから。だから死んだのだと責任を感じた。その思いがあったから、俺は父さんがいつも言っていた理想を俺が叶えなくてはと思ったのだ。
“顔も知らない誰かの為に”
それがきっと、クロノ・ハラオウンとして俺がとるべき行動なのだと思った。この世界で与えられた役割なのだと。
魔法を覚えた。なぜなら、父さんの夢を叶える為には魔導師となる必要があったからだ。
士官学校にも行った。なぜなら、原作のクロノは通っていたからだ。
この世界でクロノ・ハラオウンとして父の遺志を継ぐこと。
それが、俺がこの世界に転生した理由なのだと、その時の俺は信じていた。
今にして思えば笑ってしまう。何かあれば原作との違いを気にして過ごす日々。なんでそんなことをしていたのだろうか。
戦闘機人という人の手で生み出された自分が持つ自意識の存在に悩んでいたチンク。あいつと出会ったことで、俺の中の悩みは一つの終わりを迎えた。
すなわち、俺は俺だということ。
確かに身体や立場は原作のクロノなのかもしれない。けど、俺は俺であることに変わりはない。俺は、クロノ・ハラオウンという名前とそれに付随する環境を手に入れたが、それでも俺には違いないのだと。
周囲の人が認識するクロノは、原作のクロノじゃない。俺なんだということを、強くはっきりと意識したのはたぶんあれぐらいの時だった。
そうして、俺に残ったのは父さんの理想だけだった。
だが、今はもうその父さんの理想も俺の中には存在していない。忘れたわけではないが、もうそれに囚われることはないだろう。
その時、俺はようやく一人の確固たる人間になったのだと思う。
(――似てるよなぁ)
下に向かって突き進みながら、俺は考える。
フェイトは俺と似ている。原作のクロノを意識して父の遺志にこだわっていた俺と、アリシアの贋作として生まれて母の愛に執着していたフェイト。
似すぎである。
そのせいか、フェイトはもう他人のように思えない。というか、この無印が始まる前からある程度は似ているという認識が俺の中にあったのかもしれない。だからこそ、俺はこうして怒っているのだ。
もし俺がまだ子供の頃に、誰かに「お前はクロノの偽物だろう」と突きつけられていたら、と思ったから。
それはきっと鋭利なナイフとなって俺の身を切り裂いたに違いない。その痛みが想像できるからこそ、プレシアが許せない。
だから、一発ぶん殴る。
八つ当たりかもしれないし偽善かもしれない。けど、そんなことは知ったことではない。
(アイツはムカつく!)
理由なんてそれだけで十分である。
轟音を上げて何枚目かの床をぶち抜き、ついに身体が広い空間に投げ出される。
目を開いて見てみれば、そこはところどころが罅割れていかにも心もとない空間であった。その割れ目を覗けば、そこにあるのは極彩色の不思議空間。アルターの向こう側っぽい空間がそこには広がっていた。
(虚数空間って奴か)
そこに落ちれば魔法が一切使用できなくなるという。
それらの割れ目の位置を把握しつつ、俺は空中で体勢を立て直した。そして、アリシアの入ったシリンダーと、その横に佇むプレシアを見つける。
≪Accel.OverTop-gear ON≫
「プレシアァァアアアア――ッ!!」
雄叫びをあげつつ、アクセルモードを起動。一瞬で最高速へと入り、拳を握り込んで前へと突き出す。魔力なんて欠片も纏っていない、ただの拳である。
オーバートップギアは俺が出せる最高速度だ。その速さ、なんと目にも止まらぬどころか映らぬ速さである。ただでさえ身体機能の下がっているプレシアには目視できなかったに違いない。
それゆえ、俺の拳は無防備なプレシアの顔面に思いっきり叩きつけられた。もちろんその速さのままで殴ったらえらいことになるので、多少威力は緩和させていたが。
「がッ……! ――うっ、とうしいィイッ!」
頬への衝撃にたたらを踏むものの、すぐさま魔力を腕に込めると俺に叩きつけるようにして腕を振り払う。俺にそれを防ぐ術はなかった。
「ぐあッ!」
≪マスター!≫
圧倒的と言ってもいい格が違う魔力量によって一気に俺は吹き飛ばされる。しかもご丁寧に、落下場所は虚数空間の真上である。
この程度、普段の俺ならすぐさま回避するのだが、今の俺は身体が動かない。というのも、瀬田宗次郎の縮地もどきであるオーバートップは、俺の身体に大きな負担をかけるからだ。
あれだけ速く動くのだからそれも当然である。当然であるのだが……これはさすがにまずくないだろうか。思わず後先考えずにいきなり殴ってしまったが……あれ、まさかこれで人生オワタ?
「クロノッ!」
と、半ば諦めかけたその時、温かな光が俺を包み込んだ。それによって身体の落下は防がれ、宙に浮く。
そのまま移動させられ、着いた先には羽根(余剰魔力が形を取ったもの)を生やした母さんが立っていた。足もとには大きな魔法陣。どうやら大規模な儀式魔法を展開している真っ最中であるらしい。だというのに、俺に対しても魔法を使えるとか、我が母親ながらハイスペックな人である。
そんな母さん。顔を見るに、なんだか怒っているようである。そしてその予想はどうやら当たっていたらしく、着いた途端、頭に拳骨を落とされた。
「いってぇ!」
「我慢なさい! まったく、なんて無茶をするのこの子は!」
「うっ」
危ないことをしてはいけません、と小さな子どもに対してするように怒る母さん。実際にかなり危ないところだった俺としては、身を縮こませるしかなかった。
≪まったくです! あのまま落ちていたらどうするんですか!≫
イデアまで一緒になって怒り始める。ふと思うが、デバイスにまで説教食らうマスターって俺ぐらいなんじゃないだろうか。
とはいえ、何も考えていませんでしたと言うこともできないので、俺はただ甘んじてその怒りを受けるのだった。
と、いきなりこの部屋の扉部分が外から吹き飛ばされ壊される。そうしてできた穴から出てきたのは、フェイトとアルフの二人だった。
母さんとイデアは俺への言葉を一旦打ち切り、フェイトたちのほうへと視線を向ける。フェイトたちはこちらに目を向けると、少しだけ笑った気がした。
あ、そうだ。一応言っておかないといけないかもしれない。
<なあ、アルフ>
<……ん? クロノか。なんだい?>
アルフに念話を繋ぐ。いや、いきなりフェイトに繋ぐのはさすがにね。まだあまり喋ったこともないし。
と、それより一応伝えておくことは伝えておこう。
<フェイトに謝っといてくれない? お前のお母さん、ムカついたから殴っちゃったって>
<な、殴っちゃったって……>
言いつつ、アルフは盗み見るようにプレシアへと視線を移す。すると当然、俺が殴ったために赤く腫れている頬を見ることになる。それを見たアルフは、たいそう面白いものを見たと言わんばかりの顔をしてみせる。
そして俺が言った通りにフェイトに何やら話してくれている。話し終わったのか、フェイトがプレシアを見て、次いでこちらを見る。その表情は、どう言えばいいのか分からない何とも複雑そうなものだった。ただ、怒っているようではなかったので、いいかなと思う。
「何を……しに来たの……」
苛立たしげにプレシアの声が割りこんでくる。その声にフェイトは表情を引き締めてプレシアに向き直る。
その時、プレシアは咳き込んで血を吐き出した。
はっとしてフェイトが近寄ろうとするが、その前にプレシアが再度口を開いていた。まるで、フェイトを寄せ付けまいとするように。
「何をしに来たの。もう、あなたに用はないわ」
感情を感じさせない声だった。そのことにフェイトは少し躊躇うも、挫けることなくプレシアの前へと立つ。
「あなたに、言いたいことがあって来ました」
プレシアに睨みつけられても、フェイトは毅然として揺るがない。そのまま、フェイトはプレシアを真っ直ぐに見て言葉を紡ぐ。
「――私はアリシア・テスタロッサじゃありません。あなたは、私をただの代替物として作ったのかもしれない。けど、私はアリシアじゃない。フェイト・テスタロッサです。ずっと、生まれた時から変わらない……あなたの娘です」
プレシアは冷笑を浮かべ、フェイトを嘲る。
「だから何? 今更あなたを娘と思えとでも言うの?」
プレシアの態度が崩れることはない。これまでと変わらず、フェイトを突き放すだけだった。
けれど、フェイトは一歩も引かなかった。怯えも恐れもなく、フェイトはただ真っ直ぐにプレシアを見つめる。
「あなたが、私のことをそう思うなら」
その言葉に、プレシアが一瞬気勢を削がれたように押し黙る。そのプレシアの様子には気づかず、フェイトは自身の胸の内を明かしていく。
「私は今までも、そしてこれからもずっとあなたの娘です。同じように、あなたはずっと私の母さんです。……だから、あなたが私のことをそう思ってくれるなら、私は……今度は私の意思で、母さんのために出来ることをします。だって……」
フェイトは少しだけ唇を噛んで、眉を寄せた。
「だって……私たちは親子だから」
まるで泣き出しそうな顔のまま、フェイトはそう言ったのだった。
しかし、口から血を流しながらそれでもプレシアは冷たく嗤ってフェイトの言葉を否定する。
「…………くだら、ないわ」
それを聞き、フェイトはぐっとさっきより強く唇を噛んでいた。それでも、涙を見せることはない。
あるいは、フェイトにはそう言われる予感があったのかもしれない。泣き出しそうな顔で告げた親子の言葉は、その表れなのかもしれなかった。
プレシアは手に持った杖で地面を突く。同時に現れる魔法陣の効果なのか、杖の先端を起点として魔力の流れが俺たちがいる場所全体を覆っていった。
それが何なのかと考える間もなく、庭園そのものが大きな揺れに見舞われる。それに合わせて、地面や壁や柱に至るまでが次々と崩壊していく。
「ぁあっ」
その揺れによって地割れが起こり、母さんが展開していた魔法陣を真っ二つに壊す。倒れそうになった母さんを支えながら、俺はエイミィに通信を繋いだ。
「エイミィ!」
『き、局地的な次元震が発生してる! そんな……ジュエルシードの力を借りたとはいえ、こんな限定空間で狙い通りに次元震を起こすなんて……』
「さすがは大魔導師といったところだな。それより此処からじゃ外の様子がわからん。指示をくれ!」
母さんを立たせてから声を張り上げれば、すぐにエイミィから返事が届く。
『次元震の影響で時の庭園が崩壊を始めてる! みんな脱出して! この規模なら次元断層が起こる心配はないから!』
「了解!」
次元断層という最悪の事態が起こる心配はないということを知れただけでも、だいぶ安心感がある。つまり。あとは俺たちが全員無事に脱出すればいいということだ。
事態を認識した俺は、隣に立つ母さんに声を掛ける。
「母さんは戻っててくれ。俺は一応あいつらの所に向かう」
あいつらとはもちろん、なのはやフェイトといった四人のことだ。管理局の執務官である俺が民間の人間を置いて先に逃げるなどそんな馬鹿なことはない。
母さんについては艦長という立場から帰還せざるを得ないが、俺はここに残るべき存在なのだ。ちょうど身体の麻痺も治ってきているので、問題はないだろう。
そのことは母さんも分かっているようで、ただ頷くだけだった。
「わかったわ。頼んだわよクロノ執務官」
「任せてください、艦長」
最後に儀礼的なやりとりを交えて互いに笑みを交わし、母さんはアースラへと戻っていく。
「くそッ!」
そしてそれを見送った直後、瞬時に駆け出した。
それは思い出したからだ。このあとの結末を。プレシアがどうなったのかを。この揺れが起こるまで、俺は迂闊にもそのことをすっかり忘れてしまっていたのだった。
(馬鹿がっ! 何で忘れてたんだッ!)
怒りで前が見えていなかったのか、フェイトに自分を重ねて見ていたことがプレシアについて考えることを邪魔していたのか。言い訳はいくらでもできるし、どれもその通りなのかもしれない。
けれど、だから仕方がなかったんだと言えるはずもない。
だから俺はとにかく全速力でフェイトたちのもとへと向かっていた。
「イデア! アクセルモード!」
≪Error. カートリッジに続いてオーバートップを使用したことで、私の機能は著しく制限されています≫
イデアの返答に反射的にスラングを吐き出しそうになるのを、すんでで堪える。イデアが悪いわけではないことは分かっているからだ。
それでも、焦る気持ちはどうしようもなかった。
「私は向かう……アルハザードへ。そして全てを取り戻すのよ。過去も、未来も、たった一つの幸福も……」
プレシアの言葉が聞こえてくる。
くそっ、明らかに最期の台詞っぽいことを言いやがって! こっちはまだ間に合ってねぇってのに!
「イデア! 頼む、ハイアーでいいから出してくれぇ!」
≪……何とか、してみます≫
直後、足の裏に円盤が形成される。しかし、それはひどく希薄で頼りないものだった。
だが、術式さえ用意されたならあとは簡単だ。形を保っている間に、俺が魔力を通せばいいだけのこと。
「――いっけぇッ!」
プレシアの足元の地面が崩れ始める。
円盤に魔力が供給され、ブーストとなったそれは一気に俺の身体を前面に押し出していく。
「母さん!」
「危ない、フェイト!」
今まさに落ちようとしているプレシアに手を伸ばそうとするフェイト。それを止めようとフェイトの身体に抱きつくアルフ。
そんなアルフに簡潔に念話を繋げる。
<チェーンバインド、頼む!>
「え?」
突然の念話に一瞬呆けるアルフの横を通り過ぎて、落ちようとしているプレシアの手を掴む。そして、一拍遅れて状況を理解したアルフが、チェーンバインドをすぐさま飛ばして俺の腰に巻きつけた。
ガクン、と急激な制止によって働いた慣性が俺の腹を締め付けるが、それでも我慢できないほどではない。ぐっと堪えて、プレシアの手を握り続けた。
「あ、りしあ……」
プレシアはそんな俺など見てもいなかった。ただ虚数空間の底に沈んでいったアリシアの入ったシリンダーだけを見ていた。
そんなプレシアの様子を見て、かっと頭に血が上る。
「ふざけんなよテメェ! 確かにアリシアはアンタにとって大切な娘だったのかもしれないけどな! アンタには生きてる娘がいるだろ! なんで死んじまったアリシアにばっかりこだわるんだ! アンタはいったいフェイトをなんだと思ってるんだよッ!」
勢いのままにプレシアに言いたいことをぶつけると、プレシアは下ばかり見ていた顔を上げてこちらを見た。
なぜか、プレシアの顔は今まで見てきた中で一番落ち着いたもののように見える。まるで凪いだ海のようなその表情。そのせいか、俺は一瞬毒気を抜かれたようにその顔をただ見つめてしまう。
「……アリシアは、私にとっての、全てだったわ……」
そう言うと、驚くことにプレシアは笑った。それはこれまでの狂気じみたものとは違う。母性すら感じられる、穏やかな笑みだった。
「だから、フェイトは私の娘じゃないのよ」
瞬間、プレシアは驚いている俺の手から力任せに抜け出し、そのままアリシアと同じように落下していった。
「プレシアッ!?」
しまったと思うも、もう遅い。もう俺の身体は地表から随分下がってしまっている。これ以上下に行ってしまえば、アルフのバインドも解けてしまうだろう。落ちていくプレシアを見ていることしか俺には出来なかった。
「……アリシア、今行くわ。ずっと、一緒に……――」
自らが落ちていく先だけを見つめて、プレシアが落ちていく。やがてその姿が点となって極彩色の中に消えていくのを、俺はただ見つめ続けていた。
「くっ、そぉぉおおお――ッ!」
あのまま手を握ってくれていれば、助かったというのに。俺の手を振りほどいたプレシアを責める。そして、それを防ぐことが出来なかった自分自身も。
<クロノッ! もう限界だよ、このままじゃ脱出できなくなる!>
アルフからの念話が届く。
……そうだ。こうしてここで自責の念に浸っているわけにもいかない。俺は生きているし、生きたいと思っている。なら、生きなければならない。そのための努力をしなければならない。
もう一度だけプレシアが落ちていった先を見つめて、俺は心の迷いを振り切った。
<……アルフ。頼む、上げてくれ>
<ああ!>
すぐさま答え、アルフの力で徐々に引き上げられていく。
そうして地上に戻ると、隣には座り込んだフェイトがいた。こちらを見る目には何も変わりがない。この位置からでは、俺の身体が邪魔をしてプレシアの表情が見えなかったのかもしれない。
なぜなら、あの最後の不可解な笑みを見ていれば、さっきまでと同じような顔などできるはずはないからだ。
しかし、それについて考える時間はもうなかった。俺たちがいま立っている場所もついに崩れ始めたのだ。
わずかな後、俺とアルフは音を立てて隆起する地面によってフェイトと引き離され、フェイトが一人で今にも崩れそうな場所に取り残されてしまった。
「フェイト!」
「フェイトッ!」
俺とアルフが一斉に呼ぶが、フェイトはこちらを見ない。プレシアが目の前で虚数空間に落ちていったことがショックだったのか。わからないが、放っておくことも出来ない。
「こっのぉッ!」
魔法などは一切使わず、単純に足に魔力を集めて爆発させる。その際に生まれるエネルギーを利用して推進剤がわりにすると、俺はもはやただの瓦礫の集まりである空間を器用に間を縫ってフェイトの元に向かう。
魔力をただ爆発させているだけなので、足がかなり痛い。だが、その甲斐あって俺は何とかフェイトの傍まで辿り着くことができた。
そしてちょうどその時、天井部の岩盤がそのさらに上から撃ち抜かれて落ちてくる。撃ち抜いたのは、桜色の魔力砲だった。
「フェイトちゃん! クロノくん!」
なのはがこっちに向かって手を伸ばしながら飛んでくる。フェイトがなのはに気がついて空を見上げる。
よし、フェイトはなのはに任せればいいだろう。俺はそう思いなおす。
あとは俺だ。ということで、マルチタスクをフルに使って飛行魔法の術式を何とか頭の中で組み上げていく。
デバイスの演算機能は基本スペックの一つなので、バラバラにでもならない限りはそれが機能しなくなることはない。イデアは魔法というプログラムの表出が上手く出来ないだけなので、計算を任せて俺が術式を組んで使えば魔法は使えるのだ。
さっきは時間がなかったからこんなことは出来なかったのだが。
つまり、俺には自力の脱出手段がある。なら、まずはフェイトを何とかするべきだろう。
そう判断した俺はフェイトを無理やり立たせると、なのはのほうを指さした。
「ほら、お前が信じて、お前を信じてくれた奴だ。無理せずに助けてもらっとけ」
ぽん、と肩を叩く。と、フェイトは俺の方に振り返った。
「あの……あなたは……?」
「俺は自分で飛べる。まだちょっと手間取ってるけど、心配はないぞ」
だからほら、と近づいてきていたなのはに向かって軽く背を押す。それに逆らわずにフェイトは前に踏み出し、恐る恐るといった具合に手を差し出す。
「飛んで、こっちに!」
なのはの言葉を受けて、フェイトが意を決して地を蹴りなのはの方へと小さく飛ぶ。そして差し出されていた二人の手が絡まり、しっかりと繋がり合ってフェイトもなのはと一緒に空を飛んだ。
それを見ている間も、俺の頭の中では飛行魔法の術式が出来上がってきている。そして、ようやく作業がすべて終わり、俺も自力で飛べるようになる。
早速魔力を術式通りに運用し、俺も飛び上がってなのはたちと合流する。そこにユーノやアルフも加わり、俺達五人は急いで崩れ落ちる庭園から脱出するのだった。
続
==========
あとがき
本当は次のお話と併せて一話なんですが、投稿文字数オーバーで一回で投稿できませんでした。
なので、次のお話も併せて一話と考えてくれると幸いです。
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