まつろわぬ日々(リリカルなのは・クロノ憑依)
1-1
母さんが泣いている。
いつも穏やかに笑っていて、いつだって俺を安心させてくれていた母さんが。今は押し寄せる悲しみに耐える余裕すらなく、その双眸から涙をこぼし続けている。俺はそれを見ているだけだ。うずくまり、丸くなった背中に抱きついて、自分の温かさを分けるようにして慰めている。だが、真実この悲しみを癒せるのはたった一人しかいない。けど、その人はいなくなってしまった。俺の目にも涙が浮かぶ。悲しみと、悔しさの涙が。
父さんが死んだ。
死んだ理由は教えられるまでもない。闇の書に艦が浸食され、父さんが最後まで艦に残ってコントロールを奪われないように抵抗していたから。そして、グレアムおじさんの決断によってアルカンシェルで蒸発した――。
俺の過失だ。
今が幸せで、俺は忘れてしまっていたんだ。父さんが近い将来に死んでしまうことを。あるいは、認めたくなかったのかもしれない。この幸せな時間が壊れるなんてことを。
魔法なんて俺にとってはファンタジーにすぎないそれがあって、俺は夢中だった。魔法は最高の遊びだった。父さんもよく俺に付き合って遊んでいた。魔法が使われるたびにはしゃぐ俺に付き合って、父さんと俺は馬鹿みたいに一緒に笑った。
そうやって遊んで、いい加減にしなさいと母さんに叱られて、神妙な面持ちで正座させられる父さんと俺。ただそれだけのことが楽しかった。
休日には家族で出かけた。ピクニックにも行ったし、レジャーランドにも行った。父さんと二人でキャッチボールだってやった。一緒の布団で眠った。悪いことをやって父さんに殴られたこともあった。けれど、そのすべてが幸せだった。
だから、忘れたかったんだ。あれだけ優しくて、温かい父さんが、死んでしまうなんてことは。だから、その通りに俺は忘れた。
だから、これは俺の失敗だ。俺の逃げが招いたこと。父さんの死から逃げ続けた俺が背負うべき、俺のせいで起こったことなのだ。
なぜ、立ち向かおうとしなかったのだろう。なぜ、俺は何かを為そうとしなかったのだろう。子供だからって、諦めていい道理はない。俺は無理をしてでも魔法を習って、父さんを助けようとするべきだったんじゃないのか。
たとえそれがどの道無理なことだったとしても、努力はするべきだったんじゃないのか。
魔法の楽しさにうつつをぬかし、幸福な今に浸ってそれを続かせる努力をせず。ただ甘えていただけの俺は、本当に子供だった。そのツケが、こうして泣いている母さんだ。俺は、この人の笑顔を見て、この人の幸せを守りたいと決意したというのに。
なぜ、そんなことすら俺はやろうとしなかったのだ――。
「リンディくん……クロノくん……」
うずくまる俺たち二人の後ろに、三つの影が並ぶ。ギル・グレアム提督とその使い魔、リーゼロッテとアリアの二人だ。三人ともが沈痛な面持ちで俺たちを見ている。いや、あれは自分を見ているのか。父さんを助けられなかった、自分たちを。
「っ、グレアム、ていとく……」
嗚咽をこぼしながら、母さんがグレアムおじさんの顔を見る。涙がとめどなく流れ続けるその様を見て、グレアムおじさんの顔が辛そうに歪んだ。
「リンディくん……本当に、本当に、私は、何と言えばいいのか……」
「お父様……」
「父様……」
ロッテとアリアがおじさんに寄り添う。おじさんは両目を片手で隠して、泣いていた。
本当は、おじさんもそんな顔をする必要はなかった。すべては俺のせいだ。俺が逃げ続けていたから、こうなった。真に責められるべきは俺なのに、俺はそれを語ることも出来ない。リリカルなのはの知識は、異常でしかないからだ。
唇をかみしめる俺に気がついたのか、母さんが俺の頭をそっと撫でた。はっとして顔を上げると、母さんが笑っていた。涙は未だに止まらないけれど、でも、確かに。
「……夫は、自分の仕事に誇りを持っていました。自分は、顔も知らない誰かを守るためにここにいるのだ、と。いつも、そう言っていました。……ですから、きっと、こうなったことに悔いはなかったと思います……。で、ですから、グレアム提督、どうか……っ」
再び嗚咽が混じり出した母さんの手を、今度は俺がギュッとつかむ。母さんは少し驚いたように俺を見たけれど、ゆっくりとまた微笑んでくれた。涙に濡れたままで。
「……ですから、どうか、あの人のためにも、これからを生きてください。あの人の行ったことが、無駄にならないように。あの人の死が、きっと顔も知らない誰かの支えになるように……」
そこまで言って、母さんが頭を下げた。俺も、自然とそれに倣う。
「「お願いします」」
二人の声が重なった。それが、俺たちが同じことを考えて同じことを思っているようで、俺は少し誇らしく、嬉しかった。
頭を下げた頭上で、グレアムおじさんが小声で「すまない」と呟いたのが聞こえた。きっと、母さんも聞こえていただろう。
それでも、母さんも俺も顔を上げることはしない。きっとグレアムおじさんも聞いてほしくはなかったはずだ。だから、俺たちは知らないふりをする。それがきっと一番いいことだから。
「……わかった。このギル・グレアム。生涯をかけて彼の想いを受け継ぎ、顔も知らない誰かのために、この世の平和に尽力することを誓う」
そう言いきった力強い声を聞いて、母さんと俺は顔を上げた。視線の先には決意を持った男の逞しい顔がある。わずかに目の端が赤い、しかし何よりも頼りになる顔だった。
「……ありがとう、ございます……」
そんなおじさんの顔を見て母さんも悟ったのだろう。この人なら、それをやり遂げてくれると。父さんの想いを、間違えずに継いでくれると。俺も、それを確信している。闇の書に対するおじさんたちの今後は知っているが、それの根幹はやはり同じだ。誰かの平和を願うからこそ、あの時おじさんが考えつく中での次善の手を選んだにすぎない。
だからこそ、それ以上の手があると気がついた時、おじさんはあっさりと手を引いたのだ。それがどこかの誰かの平和にとっての最善であったから。
だから大丈夫。父さんの意志はこうしておじさんに渡された。しかし、それだけでは終わらせない。そうだ。今の俺はかつての俺じゃない。今の俺はクロノ・ハラオウンなのだ。
なら――俺も、父さんの意志を継いでいく。
頭を下げた母さんにおじさんもリーゼたちも頭をさげ、踵を返して立ち去ろうとする。しかし、俺はそれをさせない。させてはいけない。
「待ってください」
俺の一言を聞いて、おじさんたちの足がぴたり止まる。母さんも、顔を上げて俺のほうを見る。おじさんたちが振り返って俺を見る。それらの視線をまっすぐに見つめ返して、俺はおじさんに頭を下げた。
「俺を、鍛えてください!」
「クロノくん……」
おじさんは驚きの表情で俺を見る。それはそうだろう。俺は会うたび会うたび、魔法で辛い思いをするなんて馬鹿げてる。魔法は楽しくやるべきだと言い続けて、魔法を教えようとしてくれるリーゼたちの誘いも蹴り続けてきたんだから。
だけど、それは俺の甘えでしかない。俺がクロノである以上、いつか原作の流れに乗る可能性は否めない。俺はもともと何かしなければいけなかったのだ。それの契機が、今になった。この事件になったというだけ。
そう、俺は成し遂げなければならない。俺が幸せになるために。母さんが幸せになるために。そして、父さんがやったことが無駄ではなかったと示すために。そのために、この世界を道連れにしてみんな幸せにしてやる。俺の大切な人達も、顔も知らないどこかの誰かも。
この世の全員なんてことは言わない。どこぞの正義の味方じゃないんだ。その異常性にこだわっては、いずれ俺も母さんも傷つくに違いない。だから、俺は俺が出来る範囲でみんな幸せにしてやる。それが、父さんから継いだ夢だ。そのために力がいる。他でもない、魔法の力が。だから、俺はそれを手に入れてやる。それが、俺のやるべきことなのだ。
「お願いします!」
「クロすけ……おまえ……」
何事か言おうとしたロッテをおじさんの腕が遮った。そして、その力強い瞳で俺の目を見据える。
「……本当に、やるのだね?」
「俺は、クライド・ハラオウンの息子です」
はっきりと俺が言うと、おじさんは何かに思いを馳せるように目を伏せた。そして次の瞬間にはもとの力強い瞳が覗き、そしてその口が開かれた。
「……ロッテ、アリア。お前たちはしばらくリンディくんのところでお世話になりなさい。私の家は少々遠い。今はここからあまり離れない方がいいだろう」
「父様!?」
「そんな……よろしいのですか?」
二人の言葉に、グレアムおじさんは苦笑する。
「ダメだ、と言って……聞くと思うか?」
その言葉に促されて、二人が俺を見る。そして、目を見張った。
「あそこまで真剣な顔の彼を見たのは初めてだ……。彼が生まれて五年、ずっと彼を見てきたが、あんな顔は初めてだよ」
「はい……」
「確かに、ね……」
おじさんの言葉に同意するように、二人の猫は頷いた。
俺は自分でも今の顔つきはいつもと違うだろうという自覚がある。前の人生と今の人生、その両方の中で今ほど強く何かを願ったことはなかった。だとすれば、いまの俺が普段と違っているのはむしろ当然だ。俺は確かにこの瞬間、この世界でクロノ・ハラオウンとなったのだ。
「クロノ……」
横で俺の顔を見つめる母さんに向きなおった。
「ごめん、母さん。勝手に決めて……。けど、俺はどうしてもやりたい。まだ正確に先のビジョンがあるわけじゃない。それでも、こうせずにはいられないんだ」
俺が決死の思いでそう言うと、母さんは微笑んで頭を振った。
「ううん、あなたならいつかそう言うと思っていたわ。あなたはいつも、こことは違うどこかを見ているようだった。クライドさんとも、うちの息子は大物になるって話していたくらいなんだから」
「父さんが……」
くすりと笑った母さんに、俺は安心した。そして、俺のことをそう評していたという父さんを思い出す。確かに、俺はぼうっとしていることが多い子供だっただろう。それはつまり、この世界の未来を知る者として、色々と考えていたわけで、決して父さんが言っていたような大物云々にはこれっぽっちも関係はない事柄だったのだが……。
(けど、そう言われちゃ、やるしかないよな)
本来ならいずれは提督になるクロノ・ハラオウン。なら、俺だってそれぐらいはやれなくては話にならない。なにより父さんに申し訳が立たない。
俺は一層やる気をみなぎらせて、握りこぶしを作った。
「そんじゃあクロすけ。明後日から早速訓練開始だ。途中で根を上げるような真似はしないでくれよ」
「あったり前だ! そっちこそ手ぇ抜くなよな師匠!」
挑発的に言ってきたロッテに、にっと笑って挑発的に返してやる。それにつられて、ロッテも笑う。周りもつられて、みんなが笑う。
この悲しみの中にあって、今この瞬間はみんな笑っている。あるいは、こんな風景こそを父さんは見たかったのかもしれない。このためにこそ命をかけたのかもしれない。
まだ目指すべき場所は霞んで見えないものの、何となく、父さんが見ていた望みがどんなものだったのか、わかったような気がした。
一話初め。
・・・なんかここまで書いたなら連載に入れとこうかな。HP上じゃなくてブログ上で暫定的に。
また何か意見が来たらそれで決めようかな。
※どこぞの正義の味方
Fate/stay nightの主人公衛宮士郎のこと。すべての他人、誰も彼もを救うことを目指した彼は、どうやっても百人中百人を救えない現実に直面し、理想と現実の矛盾に苦しんだ。
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