きょう×なの その10
さて、桃子から連絡を受けた恭也は心持ち足を速めながら翠屋に向かっていた。
いきなりの呼び出しであったが、頼まれたことである。待たせるのはあまりいい気分ではなかった。
とはいえ、それも結局いつもの手伝いだろうと思うと溜め息が出てくるが。
それでも歩くスピードを緩めることはない。
なんだかんだで、やはり恭也は人が好いのだった。
「……着いたか」
目の前に建つ洋風のログハウスのような喫茶店に目を移す。
翠屋、という看板が掲げられたこの店は、美味しいケーキと美味しいお茶で有名な人気店である。
何度か雑誌にも取り上げられていて、遠くからわざわざケーキを買いに来てくれる人もいるぐらいであった。
地元では主に学校帰りの女子高生がよく利用する。昼時にはおばさん方やサラリーマンの方々もランチなどに利用するが、それでも一番の対象となっているのはそういった
学生だろう。
事実、今も恭也の目には華やかににぎわう翠屋の様子が見えていた。
店の前にあるテーブルまで埋まっている様子がその照明である。
その中を行かねばならないことに恭也は軽く嘆息し、意を決して歩き出した。
入り口前に立ち、扉の取っ手を握ったところで、ふと恭也は外に座るお客の一部に目をやる。
(……男だけで来ているのも、珍しいな……)
三人ほどの男が外でケーキを頬張っているのは微妙に嫌な光景であった。
なぜか店の中をちらちらと気にしているようだが。
……まあ、いいか。
特にそれ以上気にすることもなく、恭也は取っ手を力強く引く。
カランカラン、と扉の上に取り付けられたベルが乾いた高音を鳴らした。
「あ、いらっしゃいませ~」
「…………………………は?」
瞬間、時が止まった。
扉を開けたままの状態で、恭也はこれ以上ないほどに目を見開いて固まっていた。
目の前にいるのは、間違いなく菜乃葉だった。恭也にとっては思い出深く、大切な少女だ。間違えるはずもない。
しかし、今の格好はなんなんだろうか。
翠屋という字が印字された黒いエプロン。これはいいだろう。ある意味新鮮だし、この場にいることからも納得できるものだ。
……だがしかし、その下の格好はなんだ?
あきらかに私服でもなければ制服でもない。いや、ある意味接客では制服と言えなくもないのかもしれないが。
そう。
なぜ……――
――……メイド服?
恭也の疑問そのままの状態が彼の目の前に立っている。
その目に映っている菜乃葉は紛うことなきメイド服を着込み、その上にエプロンをつけているのだった。
これもまたある意味で新鮮ではあるが、それよりも異様である。
いや、かなり似合ってはいるのだ。黒い長そでの下地の服に白いエプロン。ひらひらしたフリルに頭のヘッドセットが可愛らしい。膝下まである黒いスカートもふわっと膨
らんでいて何とも言えない魅力があって――、
(……いやいやいやいや、そんなことはどうでもいい)
いや、どうでもよくはないが。実際、かなり可愛いのだし。
とはいえ、メイド服に対する評価などがどうでもいいことは間違いない。
……とりあえず、それは置いておくとして。
なぜ菜乃葉はメイド服を着ているのだろうか。
翠屋を手伝っているのはわかる。
大方桃子に言われたのだろう。人の好い菜乃葉が断れるはずもない。それに、菜乃葉はもともと“高町なのは”なのである。
なら、当然この翠屋の仕事の手伝いも慣れているはずだ。だから、問題はない。
だが、手伝うのなら私服にエプロンだけでいいのでは?
それが一番の疑問なのだ。
なぜメイド服。
似合ってはいるけれど。
いや、しかし意味が分からないだろう。
ぐるぐるとそんなことを考えて固まってしまっている恭也。
しかし、当の菜乃葉は当たり前だがそんなことを知るはずもない。
よって、彼女はいたって普通に恭也に声をかけるのだった。
「ほら、恭也くん。扉開けっぱなしだよ。早く入って」
「……え、あ……ああ……」
その言葉でようやく我に帰った恭也は言われたとおりに扉を閉め、中に入る。
それを見届けて、菜乃葉はにっこりと笑った。
「いらっしゃいませ。ただ今カウンター席しか空いておりませんが、そちらでよろしかったでしょうか?」
「……あ、ああ。構わないが……」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
完璧なまでの笑顔で、非の打ちどころのない対応をされた恭也の頭の中は相変わらず混乱中だった。
「それでは、こちらがメニューになります。ご注文がお決まりになったらお呼びください」
席につき、見慣れたメニュー表を渡された恭也ははっとして思わず立ち去ろうとしていた菜乃葉の腕を掴んでいた。
「あ……」
「恭也くん?」
「あ、いや……」
手を掴んだはいいが、これからどうすればいいのか。
恭也はとりあえず混乱真っ盛りな思考は頭の片隅に気合で追いやって、目下最大の疑問を問うことにする。
すなわち、
「……なぜ、メイド服なんだ?」
と、いうことを。
聞かれた菜乃葉は、一瞬その頬が赤く染まったが、次の瞬間にはもとの完璧な笑顔に戻っていた。
なぜか恭也の背筋は寒くなったが。
「……恭也くん」
「な、なんだ」
「……知らなくて、いいこともあるんだよ?」
「……そ、そうか」
その笑顔の前には、恭也もそう答えるしかなかった。
「それじゃあ、またね。恭也くん」
今度は本当ににこりと笑って、菜乃葉は恭也の傍から離れていく。
たった今会計に向かった客のテーブルの片づけをするようだった。
(…………母さん、か)
言い淀んだ菜乃葉を見ていれば、大体想像はつく。
というか、こんな突飛なことを実行する人間が桃子以外に該当しない。
やれやれと思いながら、恭也は何の気なしにそつなく動き回る菜乃葉の姿を目で追いかける。
恭也にしてみればそれは完全に無意識の行動だったのだが。
はたから見れば、それはどう見ても見とれているとしかいえない状態であった。
「んっふふふ~。きょ・う・や~」
突然恭也のすぐ近くで聞こえた楽しげな声に、恭也はびくっと肩を震わせる。
「か、母さん……」
「どう、どう? 菜乃葉ちゃん、すごく可愛いでしょ~! 見れなかったら、絶対後悔してたわね!」
もう楽しくて仕方ない、といった様子で嬉しそうに笑う桃子を見て、恭也は確信した。
(やはりあんたの仕業か、高町母……)
自分の期待を裏切らない母親の姿に内心で嘆息する息子には気づかず、桃子はにこにこと笑顔を振りまいている。
「今日、菜乃葉ちゃんの服を買いに行くついでにね、あの服も買ってみたのよ。絶対に似合うと思って! いやー、やっぱり私の目に狂いはなかったわ!」
自信満々にのたまう桃子に一瞬同意しそうになった恭也は、何とかかぶりをふってそれを否定する。
この母と同じになるのは、避けなければならない。
恭也は桃子のことを尊敬しているが、間違ってもこうはなりたくないと思う面があるのも事実なのである。
「……まあ、似合っているのは認めるが……」
ちらりと店内を動き続けている菜乃葉に目を向けながら、恭也は呟く。
「でしょ? 恭也もさっきからずっと見とれてたもんね~」
にやにやしながら言う桃子に、恭也はわずかに赤くなって、ぐっと言葉に詰まる。
無意識とはいえさっきの自分を思い起こすと、そう取れなくもない。押し黙る恭也。
しかし、それは自覚している証拠であった。
それを確信した桃子は、満足げににっこりと笑った。
桃子にしてみれば、こうして恭也の気持ちが確認できたのならば今回の件は大成功ということになる。
もちろん菜乃葉の可愛い姿を見ることも大きな目的の一つであったが。
それと同時に、いつも自分の心を見せたがらない息子に、少しでもその本心をさらけ出させるための案でもあった。
昨日の段階である程度はわかっていたことだったが、今のことでほぼ決定的だ。
桃子は、恭也が菜乃葉のことを“そういう気持ち”で見ていることを確信した。
もちろん、菜乃葉の方もだが。
だからこそ、桃子は満足げに笑うのだった。恭也が見つけた幸せを思って。
(まあ、あの子たちには悪いと思うけど……。やっぱり、一番大事なのは恭也の気持ちよね)
娘を含めた数人の顔を思い起こし、桃子は少し寂しげにそう思う。
とりあえず、恭也があの子のことを想っている限り、桃子は恭也のことを全面的に応援する気だった。
やはり、一番大事なのは当人である恭也の気持ちなのだ。
仏頂面で座っている恭也を見ながら、桃子はそう結論付ける。
そして恭也の視線を追って菜乃葉に目をやり、ふと思ったことを口にする。
「そういえば……」
「……どうかしたのか?」
桃子の声音が変わったことを察したのか、恭也が幾分真面目に声をかける。
「いやね、菜乃葉ちゃんってこの店に来たの初めてでしょ? なのに、すぐに店の商品を覚えて、完璧に仕事をこなしてくれてるから、なんでかな~と思ってね」
鉄腕アルバイターってわけでもないだろうし。
言うと、恭也の顔は微妙にひきつった無表情になっていた。
その表情のまま、恭也は言葉を紡ぐ。
「……さあな。向こうでいろいろと金をためるために仕事はしていただろうから、それでじゃないか」
「ふ~ん……。まあ、そうなのかもね」
嘘だ、と直感的に桃子は思ったがそれを口に出すことはなかった。
別に彼女が何者だろうと、桃子には関係なかったからだ。
それよりも今は恭也がその女の子に恋をしていて、その子がまるで娘のように可愛いことだけが桃子にとって重要なことなのだ。
その程度のことなど、問題にもならない。
だから、桃子は何も聞かない。
それは桃子にとっては当たり前のことだった。
「……ま、とりあえず恭也」
「……なんだ、母さん」
「さっきの似合ってるって言葉、菜乃葉ちゃんに言ってやりなさい。いい、これは命令よ」
「……なぜだ」
「はぁ……あんたはそんなだから、もう~」
当然の疑問を提示しただけ、と言わんばかりの恭也の態度に桃子は頭を抱える。
自分の気持ちには気づいているくせに、なんでこうも鈍いのか。
夫・士郎もここまでではなかった、と桃子は胸のうちで嘆くのだった。
「なんでもよ! いい、絶対に言いなさい! いいわね!」
口を酸っぱくして言い置くと、桃子はキッチンのほうへと去って行った。
恭也はそれでもしばらくは首をかしげていたが、まあいいかと自分の中で納得する。
別に言いたくないわけでもなし、それぐらいの頼みぐらい聞いてもいい。
恭也自身、似合ってると思ったのは事実なんだから。
「……菜乃葉」
「あ、はーい。ご注文? 恭也くん」
近くを通った菜乃葉を捕まえて、話しかける。
菜乃葉は変わらない笑顔で恭也に笑いかけた。
「……紅茶をストレートで、あとシュークリームをひとつ」
「はい。紅茶のストレートとシュークリームがお一つですね。それでは、しばらくお待ちください」
注文の確認を取ると、菜乃葉はカウンターから離れようとする。
が、恭也はそれを呼びとめた。
「……菜乃葉」
「え、なに? 恭也くん」
「……その服、似合ってるぞ」
常と変らぬ声音でそう言ってやると、菜乃葉は一瞬面食らった顔をして、
「――…………へ? あ、あああああの、き、きょうや、くん?」
そのすぐ後に真っ赤になって、壊れたスピーカーのように激しくどもった。
「……いや、似合っていると思ったからそう言ったのだが……どうしたんだ?」
「い、いや、あのね? い、いきなりそんなことを言うもんだから、その……」
「? ……身体の調子でも悪いのか?」
すっと恭也の手が伸びる。
咄嗟のことで、菜乃葉はそれに対応することができない。
「にゃ!?」
「……熱はないが……」
よって、気がついたのは恭也の手が菜乃葉の額に添えられた後だった。
菜乃葉の顔はこれ以上ないほどに上気し、凄まじい速さで現在地から数歩下がる。
「……菜乃葉?」
「あ、あ~……わ、わたしまだ仕事があるから! そ、それじゃ!」
脱兎の如くキッチンの方へと引っ込んだ菜乃葉を、どこか呆然と見送る。そして、差し出されたままだった手を戻して恭也は腕を組んだ。
「……なんだったんだ……」
店内にいた人たちは皆がみんな、今の二人のやり取りへの対応に困って固まっていた。
それを知る由もなく、恭也は悩み続ける。
(……とりあえず、いまキッチンから聞こえた笑い声の主が原因だろう)
そう結論付けて、恭也は桃子にどう仕返しをしてやろうかと悩みだすのだった。
自分の気持ちを自覚しつつある恭也が新鮮でした。けどやっぱり鈍感のままでしたが。
恭也に好意をもつ女性陣がこれからどう行動していくのか楽しみです。
次回の更新楽しみにしています。
それにしてもメイド服とは…w 桃子さんGJです(><)b
ここでも恭也は鈍感ぶりを発揮し、なんとも初々しいお二人でした。
それでは次回も楽しみに待ってます。
恭也の鈍感、逆ギレはいつもの事として、菜乃葉のメイド服姿の写真が、管理局の中で高額で取引されるのは間違いない。
次回更新楽しみにしております。風邪などには気をつけてください。でわ。
そして桃子さんの良い仕事にも脱帽しました(笑)
しかし恭也君、何とも恵まれた家族環境ですね。
桃子プロデュースのおかげでこちらもいいモノが見られましたが……。
息子の意思優先という、娘達に対しても贔屓することの無い応援が、桃子さんの大人物ぶりを表しているように読めました。
原作ヒロインズも、このままでは不利一方ですが、何せこの話は「きょう×なの」ですし(笑)、メイン二人の今後にどう関わってくるのか、そこを楽しみにしています。
くっ、出遅れました。
料金未払による携帯停止中にここまで更新されるなんて・・・・・不覚。
何て黒さですか桃子さん!?
sts編を見る限りこの黒さは確実になのはへと受け継がれていますね。
続きが凄く気になるので次回更新も頑張ってください。
それでは。
恭也に重点を置いた「その9」でした~
今後の忍たちにも期待してくださいw
>部下sさん
桃子が促したのだから、桃子のせいw
そう考える恭也くんがステキです!(ぇ
恭也の鈍感ぶりは、もはや仕方がないかと^^
>ziziさん
前後半に分けてあるので、出来れば早いほうがいいかなぁ、と思って頑張りました
メイド服に関しては…すみません、完全に調子に乗りました^^;
次回もお楽しみに~
>νさん
菜乃葉のメイド服姿はもちろん桃子さんのカメラの中におさめられていますw
管理局に出回ったらすごいでしょうね~
風邪については気をつけます
お気遣いありがとうございます!
>たのじさん
そう、何よりもまずこのSSは「きょう×なの」なのですw
桃子さんについては、やっぱり桃子さんならこうかなあと思いました
やっぱり、本人の意思が一番大事ですからね
今後の展開にもどうかご注目ください~
>秋元さん
今回は更新早かったですからねw
携帯停止とは……お疲れ様ですm(_ _)m
「桃子さんは、なのはのお母さんなんですよ?」
…すごく説得力を感じるのはなんで何でしょうね?^^;
次回もどうか読んでやってくださいね~
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