「しかし……やはりというか、なんというか……」
「目立ってたね、わたし……」
立派な門構えの家の前で溜め息と共に吐き出すのは、ここにたどり着くまでの道中のことだ。
やはりなのはの着ている管理局航空隊の制服は目立つようで、ちらちらとひっきりなしに視線を感じたのだ。
コスプレかなにかだと思われていたのかもしれない。
「まあ、もう大丈夫だろう。ようやくというか、家に着いたからな」
「うん。それにしても……」
なのははもう一度あらためてその重厚な門を見上げ、次いで門の中に見える家を見つめた。
「――やっぱり、おんなじなんだねぇ」
「そうなのか?」
「うん」
恭也はこの自分の家しか知らないから何とも言えないが、平行世界から来たなのはは不思議な感慨のようなものを感じているのだろう。
恭也も見慣れた自分の家を見てみるが、それはやはり見慣れた我が家でしかなかった。
「……そういえば、恭也くんってあの時は不破って名乗ってなかった?」
門構えに取り付けられている『高町』の表札を見て、ふとなのはは始めて恭也に名前を尋ねた時のことを思い出す。
確かに、あの時は不破恭也と名乗っていたはずだった。
「ああ……あれは父の旧姓だ。高町は今の母さん――高町桃子と結婚してからの名字だからな。……知ってるんじゃないのか?」
もとはほとんど同じ家庭を持つ身として、なのはは当然知っていると思っていた恭也は微かに驚いてなのはの顔を見る。
んー、となのはは唇に指をあてて考え込む。
「……聞いたことないかも。なんだか、あんまり昔のことは話したくないみたいなんだ、お父さん」
「…………ん?」
ちょっと待て。
恭也は今のなのはの言葉の中に聞き捨てならないものを見つけた。
「お父さん? 父さんは……生きているのか?」
「え? うん。……昔、すごい大けがを負ったことはあったけど、今では元気に喫茶店のマスターやってるよ」
そしてなのはも恭也と自分の言葉の祖語に気がつき、はっとする。
「まさか……この世界のお父さんは……」
「……ああ。もう死んでいる」
「……っ!」
思わずなのはは息をのんだ。
家に居候がいる、と言われたあたりからやっぱりここは平行世界で自分たちの世界とは違うと思っていたなのはであったが、今のはあまりにも大きな違いだった。
「……おそらく、その大怪我を負ったのはボディーガードの仕事中だったのではないか? そして、子供をかばって負傷した……」
確認するように言う恭也に、なのはは口元に手をあててこくりと頷く。
それを受けて、恭也も得心がいったというように頷く。
「この世界の父さんはその怪我が原因で死に、そちらでは生き残った……。これが、“あるいはあったかもしれない可能性”の世界、なのかもしれんな……」
“もしも”の世界。それが一般的な平行世界の認識だ。
父・士郎が生きているか死んでいるか。これもまた、もしもの可能性だったのだろう。
恭也は士郎を父として、師として尊敬していた。人としては微妙であるが……それでも、その心に持つ信念には常に敬意をもっていた。
(父さんが生きている世界があるのか……。俺が知る父さんではないが……)
それでも、嬉しいと感じるものだな……。
そう思いつつ恭也はそっと目を閉じて空を見上げた。どこかの世界で生きている士郎のことを思う。根は誠実な人だ。きっと、向こうでも人のために……人々の笑顔のために生きているのだろう。
喫茶店のマスターとはまた、似合わない気もするが。
ふっと小さく笑って恭也は目を開けた。
そして空を向いていた視線を下に下げてきて……ぎょっと目を見開いた。
「…………っ」
なのはの頬を涙が伝っていた。
九年も前のことではあるが、なのはは一度こちらの世界の士郎にも会っていた。その時に恭也のことを自分の兄の恭也では、と考えたのだ。その時のことはよく覚えている。
その時に、なのははよくわからなかったが怒られたことも。
恭也が何か反論している前で、どこか飄々として温かな雰囲気を纏っている人だった。自分の知る父とはまた違う空気を持つ人だった。
会っていた時間は数分もないが、それでもなのはにとっては違う世界とはいえ、自分の家族。よく知っている親しい人だ。
一瞬、心のどこかで“もし、あの時に父がそのまま死んでいたら”と考えた途端、一気に涙があふれてきてしまった。
なのはは、幸運なことなのだろうが親しい人を亡くした記憶がない。
幼いころに世話になった祖母も、いまだ元気に生きている。祖父はなのはが生まれる前に亡くなっていた。
そんななのはにとって、初めて人を亡くしたと思えたのがかつての闇の書事件でのリインフォース。その時も悲しく、残されたはやてのことを思うと、泣き出しそうな気持ちになったものだった。
今回は、その時とはまた違う気持ちだった。平行世界とはいえ、自分の父だ。一度接したこともあるし、どんな人だったのかも思い描くことができる。
その人が、亡くなった。あの、温かで大らかなお父さんが。
そう思うと、涙が出てきてしまうのだ。大泣きはしない。けれど、じわじわと滲んでくる悲しさがあった。
なのはは声を押し殺し、目に溜まった涙をこれ以上こぼさんとばかりに目元に力を込めるのだった。
これに焦ったのはもちろん恭也である。
視線を下げていきなり目に飛び込んできたのは、なのはの泣き顔。
それだけでももうかなり動揺しているというのに、場所もまずかった。
ここは、高町家の門の前である。重ねて言うが、門の前なのだ。ようするにご近所様から丸見えで、誰かが通ろうものなら指をさされて非難され、ひそひそと陰口をたたかれかねない場所なのだ。
それらの要因から、恭也は大変焦った。
さすがの恭也も女性の涙には勝てない。同時に、世間様の目にも。
珍しくも恭也はこれからどうすればいいのか、対応策が全く浮かばないという事態に陥っていた。
そのまま全く打開策もなく狼狽していると……。
ふと、泣き腫らして潤んだ目をこちらに向けるなのはと目が合った。
「――――――」
恭也はその視線を受けて、またその目を正面から見据えて、まるで心の中がこれまでとは全く違う壁紙に張り替えられていくような。強制的にリフォームされて今まで感じたことのない何かに心を埋めつくされていくような感じを味わっていた。
何だかこう、今までの自分じゃない自分が台頭してくるような。
知らない自分に出会えたというか。
――とまあ、何だかよくわからない表現をしたが、ようするに。
このとき、恭也の中で何かが切れたのは間違いのないことだった。
「ふ……ぅ……ぇ、あッ……!?」
唐突に恭也がとった行動に、思わずなのはは口元を押さえていた手を離し、声をあげていた。
そしてだんだんと今の自分の状況を理解すると、明らかに涙のせいではない赤みが顔にさした。
恭也に抱きしめられている、という状況を。
「……きょうや、くん……?」
どうにか、といった感じでなのはが恭也の名前を呼ぶと、恭也はなのはの耳元で小さく呟いた。
「……父さんは……」
びく、となのはの身体が揺れる。構わず、恭也は続けた。
「父さんは、その事件で確かに亡くなった。……だが、父さんのおかげで助かった命もある。フィアッセという……俺の姉のような人だが……父とも旧知の仲にあった彼女は当初こそひどく落ち込んでいたが、今ではよく笑う人になってくれた……。
……なぜ、彼女がそんな明るい人になったか、わかるか?」
なのははなんの反応も示せなかった。わかるような気もするし、わからない気もする。
それでも何とか、自信なさげに自分の考えを口に出した。
「……お父さんが、望まなかったから……?」
なのはの知る父は、笑顔に囲まれている姿が、とても似合っていたから――。
「そうだ。父さんは、ボディーガードという仕事を通じて人を……もっと言えばその笑顔を守りたいと言っていた。……父さんは死んだが、それをいつまでも悲しんでいては、その信念のもとで守り続けてきた父さんが浮かばれない。
……だから、フィアッセは笑うようになった。人に笑顔を与えられるようになりたい、と願って。 ……なのは……だから……」
腕の中のなのはに諭すように語りかけると、なのはは小さな声で、うん、と頷いた。
しばらくはそのままじっとしていたが、唐突に跳ねるように恭也の胸に押しつけていた顔を上げ、少し潤んだままの瞳でにっこりと笑った。
「……いつまでも悲しんでいたら、お父さんに申し訳ない、よね。……ね、恭也くん……」
「なんだ?」
「今度、お墓参り行きたいんだけど……ダメ、かな?」
遠慮がちに言うなのはに、恭也は笑みを浮かべて答える。
「いいに決まっているだろう」
「……うんっ!」
破顔して頷くと、なのはは恭也の首元にぎゅっと抱きついた。
突然のことに驚き慌てる恭也の身体を押さえつけるようにして、なのはは恭也の耳元でささやく。
「……ありがとう、恭也くん……」
「ぅ……あ、ああ……」
相変わらず抱きつかれたままという、恭也の精神衛生上非常によろしくない状態であるが、無理やり引きはがすわけにもいかず、恭也は半ば虚ろに返答を返す。
なのははその後も恭也を離す気配がない。恭也はさらに混乱する。
主に、なのはの体温とか、柔らかさとか、香ってくる女の子らしい匂いとか、そういうのが原因で。
抱き返すべきか? いやいや、しかし……。というか、世間様の目がまずいだろう。今は人がいないといっても……。だが人がいないのだから……。いや、というか論点はそこではないだろう……。だが、しかし……。
恭也の手が無意味に空を彷徨う。
(ど、どうしたものか。どうしたらいい。……り、理性が持たん……)
いよいよ恭也の鉄の意志もかつてない強力な攻撃の前に崩れ去ろうという時が近づく。
恐る恐る、ゆっくりと恭也の手がなのはの背に伸びる。
そして、もうちょっとで背中に手が触れようか、という瞬間――、
「……お、お兄ちゃん?」
聞きなれた、妹の声が聞こえたような……?
「ッ!?」
「ひゃあっ!?」
がばっと恭也の手が瞬時に戻り、なのはの肩を掴んでなのはを離す。
なのはも突然加わった声に驚いて身を引こうとしていたため、ものすごい勢いで二人は距離をとることに成功した。
そして、そんな二人を見ていた少女はその幼い瞳で一部始終すべてを目撃していた。
「な、なのはっ……?」
目に見えて動揺しているという珍しい兄の姿と、
「え、えとその、ああ、今のは違って、その……!」
真っ赤になってしどろもどろに言い訳をしている女性を見た幼い少女は、その年齢に見合わぬ明晰な思考をもって、今この時に最も適切だと思われる行動を選択した。
そして、それを忠実に実行する。
「……お邪魔したようですねー。でもお兄ちゃん、お家の前はちょっと無防備だと、なのはは思うのですよ」
そう言うと、つつつ……と静かに自分が出てきた玄関へと戻っていこうとする。
なのははよく空気の読める小学生であった。
「ま、待ってくれなのは――!」
「ご、誤解なのぉ~!」
そして小学生に追いすがる大人二人という何とも奇妙な構図が生まれたのだった。
To Be Continued...
きょう×なの、その5です
先日実施したアンケートの結果ですが、次回から使用することになると思います
・・・結局どんな名前に落ち着いたのかはまた次回で
アンケートご協力ありがとうございました~!
……それにしても、今回短いなぁ^^;
この記事にトラックバックする: |