朝。目を覚ました菜乃葉は上半身を起こし、んーと腕を突き上げて伸びをした。起きたばかりの気だるい感覚はまるで眠る寸前のように心地いい。菜乃葉は欠伸を噛み殺すと、目尻に浮かんだ涙を拭いつつ布団から出た。
「朝かぁ……。なんか、すっかり馴染んじゃった気がするなぁ」
まだ数日しかいないというのに、まるで自分の家のようだ。もっとも、この家の造りは自分本来の家と全く同じであるので、当たり前なのかもしれない。
そうして馴染んできたせいか、あるいはその他の要因のせいか。帰りたいという思いがどことなく薄れていくことを自覚し、苦笑してしまう。
とはいえ、さすがにずっといることもできない。それはわかっているが、暫くはこうしていたいなぁ。
そんなことを思いつつ、菜乃葉は着替えるためにパジャマのボタンに手をかけた。
「朝六時……」
いささか早起きをしてしまったようだ。
もともとがネボすけなだけに、こうして早く起きるとなんとなく得をした気分になる菜乃葉である。
若干気分を良くしつつリビングに行くと、桃子が既に朝食の支度を始めていた。
「あら、おはよう菜乃葉ちゃん」
「はい。おはようございます」
お互いににっこりと笑って挨拶をかわす。
そして菜乃葉はごく自然に桃子のほうに近づき、手伝いますよ、と声をかけた。
しかし、それに桃子はわずかに渋い顔をする。てっきり手伝わせてくれると思っていた菜乃葉は驚きの表情を浮かべた。
「うーん……それもいいんだけど、その前にちょっと頼まれてくれない?」
「その前に、ですか?」
「ええ」
返事をしつつ、桃子は火を通していたフライパンを見やって、少しだけ火を弱くする。その作業の後に再び菜乃葉に向き直った。
「このぐらいの時間って、ちょうど恭也達の朝の鍛錬が終わる時間なのよ。そこにタオルが用意してあるから、持って行ってあげてくれないかしら」
ちょいちょいと桃子の細い指が指し示す先には、ソファの背にかけられた二枚のタオルがあった。菜乃葉はそのタオルに視線を移し、再度桃子を見る。
「どう、お願いできる?」
菜乃葉は心からの笑顔を見せた。
「はい、任せてください!」
その答えに桃子は満足そうにうんうんと頷く。菜乃葉はそんな桃子に背を向けると、ソファにかけてあったタオルをつかんでドアに向かう。
「それじゃあ、ちょっと行ってきますね」
「はい、行ってらっしゃい」
ひらひらと桃子が手を振り、菜乃葉はサイドポニーを揺らしながらリビングを出て玄関に向かった。カラカラと外に出る音がして、桃子は台所のコンロに振り返った。
そしてフライパンの火力を元に戻し、そこに敷く油を取り出してその蓋を開けた。
「んふふ~、着実に私の初孫計画は進行しているわ!」
言いつつ油をフライパンに垂らす姿は、まるで魔女が大釜に生き血を流し込むようにも見えたとか見えないとか。
たとえその姿がどんなふうに見えようとも、間違いなく言えることは、桃子はひどく楽しそうだということだった。
「はッ――!」
「むんッ!」
美由希は両の手に握られた小太刀を振るい、恭也に攻撃を仕掛ける。
右の刀を順手で握り、正面から高速で突き出す。対する恭也はそれを右手の刀でいなすように受け流し、そのまま右腕を突き出したことによって開ききった美由希の背中側に向けて身体を入り込ませる。
「ふっ!」
柄の部分が美由希の背中を強く打ち、美由希はたまらず肺の空気を押しだして悶絶する。
が、同時に既に身体の位置を変えており、左手の刀が恭也の脇下から切り上げる形で襲いかかる。
それに対して恭也はバックステップ。当然のごとく美由希はそれに追いすがり、追撃を加えんと果敢に攻める。
しかし――、
「甘い」
迫る美由希から繰り出される横薙ぎの攻撃を上から叩き落とし、弐の太刀である突きは身体をひねって回避する。そのまま恭也は隙だらけとなった美由希の腹を思いっきり蹴り飛ばした。
「ぅぐッ……!」
咄嗟に腕を戻してガードするが、体勢までは戻らず、よけるなど当然できようはずもない。美由希は板張りの床を滑るようにして恭也との距離を開けざるを得なかった。
――これらに要した時間、わずか十秒弱。彼らの鍛錬はこれが普通だった。
「まだまだだな、美由希」
「あつつ……うぅ、わかってるよもー」
自分がまだ全てにおいて至らないという自覚があり、それがコンプレックスにもなっている美由希は、師範代からの容赦ない言葉に涙を流す。
腹部を抑えながら弱弱しく言う美由希に、さっきまでの気迫は感じられない。美由希の剣の腕や精神はまだ未熟だと恭也は思っているが、その気持ちの切り替えの早さや明るさは得難いものだと感じていた。
それは自分にないものであり、明るさは人を照らすためのものでもある。だからこそ、いずれ美由希は自分よりも高みに行くだろうという確信が恭也にはある。人に希望を与えられるような剣は、自分は持っていない。それは名前のとおり、美由希の役割となるだろう。
自分は、ただ武骨に守るだけ。自分の後ろにいる人たちを守る。その人たちの笑顔を守る。人を殺すことに特化した剣と、自分の性格を鑑みて、恭也は自分に出来ることはそれぐらいだと考える。
ゆえに、恭也は美由希に期待している。自分にはないものを持つ妹。本当の意味で、剣で人を守ることができるであろう美由希という存在に。
……もっとも、それが叶うのはいつなのか。恭也は眉を八の字にした美由希を見ながら、内心で溜息をついた。
「……もっとよく考えろ。小手先よりも戦術を磨け」
「わかってるよぉ。けど、今の手合せは珍しく試合形式だったから、ルールに沿ったものにしないと……」
「その通りだが、それに囚われすぎるな。ルールの中で、自分に出来る最大のことをする……もしくは、審判にばれないように反則を行う。そういった可能性も視野に入れておけ。お前は真面目すぎる」
「……恭ちゃんはひねくれてるよねぇ」
ぴく、と恭也の眉が少しだけ上がる。
「ほう……今日は熱心だな。メニューを変えるか」
「えっ!? あ、いや、その……!」
眼光鋭く言い放つ恐ろしい内容に、美由希は身体を震わせて後ずさった。時々こうして無意識に言ってしまう失言は、本当にどうにかならないものか。美由希は自分のうっかり属性を思って、幾度目かもしれない願いを思う。叶ったことは、当然ない。
だが、今日は幸いというべきか、救いだけはあったようである。
その時、道場の扉がサッシをスライドする音とともに開かれたのだ。視線を向ければ、そこにはタオルを抱えた菜乃葉の姿。美由希は内心で喝采を上げた。
「あ、な、菜乃葉さん! わざわざ持ってきてくれたんですか?」
天の助けとばかりに一目散に菜乃葉に駆け寄った美由希は、その手に抱えられたタオルを見て菜乃葉に尋ねる。
菜乃葉はそれに微笑んで答えた。
「はい。今日は私も珍しく早起きをしちゃったので、お手伝いです」
はいどうぞ、と菜乃葉がタオルを一つ差し出せば、美由希はお礼を言いつつそれを嬉しそうに受け取った。
タオルを顔に当て、首から垂らせば、じわりと湧き出した汗を吸い取ってくれる。今さっき流れ出た冷や汗まで律儀に吸い取ってくれるタオルに、美由希は心が軽くなるようだった。
そんなふうに何やら気持ちよさそうな美由希の横をすり抜け、菜乃葉は恭也の方へと足を運ぶ。
菜乃葉が来たことを見ていた恭也は、手に持っていた木刀などを仕舞いつつ、二人の様子を見ていた。そして今、ちょうど片付け終わったところだった。
そんな恭也に菜乃葉は近づき、はい、と恭也の前にタオルを差し出した。
「ああ、助かる」
それを受け取り、恭也は浮かんでいた汗を軽く拭う。そのまま荷物と一緒にしておこうと思ったのか放り投げようとしたところで、菜乃葉に止められた。
若干の驚きを表しながら、恭也は菜乃葉を見る。
「……なんだ?」
「汗、まだ拭き取ってないでしょ? ちゃんと気をつけないと、風邪ひいちゃうよ?」
「む……」
菜乃葉の当たり前と言えば当り前な忠告だが、しかし恭也はこれまで風邪をひいたことがなかった。
あるにはあるが、それはインフルエンザなどの感染によるものが一度だけである。不摂生や日々の油断からの体調変化は今のところはない。
だが、それを言ったところで、菜乃葉はひいてくれそうにない。意外に頑固なところがある菜乃葉のことだ。納得はしないだろう。
というか、そもそも優しさで言ってくれていることだし、そうして心配されるのも悪い気分ではない。わざわざ異を唱える必要など最初からないのだから、悩むことでもなかった。
恭也はタオルを握り直し、丹念に顔や首回りの汗を拭きとる。服の下なんかはさすがに母屋にほうに行って風呂を借りなければならないだろう。今出来るのはこれぐらいだ。
菜乃葉はちゃんと言うことを聞いてくれた恭也に満足そうに笑った。
「……なんだ」
「ううん、なんでもないよ」
笑っている菜乃葉に気づいた恭也が問うが、菜乃葉は笑顔のまま答えをはぐらかす。
変わらず笑む菜乃葉を不思議に思いつつ、恭也は手に持っていたタオルを首にかけた。十分汗は拭き取れたと判断したのだろう。菜乃葉も何も言わない。
対して菜乃葉は恭也が持ってきたのだろう荷物類をバッグに丁寧に入れていき、それが終わると恭也に手渡した。恭也は礼を言いつつそれを受け取り、道場の出入り口に向き直る。それらは淀みのない自然な動きであった。
「……行くか」
「うん。桃子さんも今朝食の準備してるしね。恭也くんたちはまずシャワーだけど」
「ああ」
言いつつ歩を進め、道場の玄関でかがむと靴をはく。はき終わると立ち上がり、恭也はまだ道場内に立っている美由希に声をかけた。
「……美由希、戻らないのか?」
「……え? あ、ま、待って!」
なぜか慌ただしく駆けてきた美由希に、恭也と菜乃葉は首を傾げる。美由希も靴をはくと、恭也と菜乃葉と一緒に道場を出る。
家に戻る短い道すがら、美由希は微妙に二人に気を使っているような態度で、二人はまたしても首を傾げることとなった。
■
シャワーを浴び、朝食を取り終わった恭也は自室でぼんやりとしていた。
これまでどれだけリラックスしていても、どこか野武士のように少しだけ緊張を織り交ぜた気配を漂わせていた恭也には、ぼんやりするなどこれまではなかったことだ。
恭也が一番リラックスしている家族との時間は別だが、学校でも何かあればすぐに対応できるぐらいには恭也は気を使っていた。
ここは自室で、家族のいる場所ではあるが、それでもここまで気を抜くことは恭也としては非常に珍しいといえる。だがしかし、ここのところ恭也はそういった時間を過ごすことが顕著になってきていた。
今この時も恭也はそうして傍から見れば無為に時間を過ごしているのだ。
ぼーっと見つめるのは窓の外に映る青い空であった。時おり白い翼を持った鳥が視界をよぎる以外には雲ひとつない蒼天の空。恭也は何をするでもなくただそれを眺めていた。
「………………」
ぼーっとする。
とはいっても、思考までも胡乱になっているわけではない。
どさりと畳の床に背中をつけ、目に映るものが青空から板張りの天井となる。そんな行動の変化の中でも、恭也は頭の中で色々と考えているのだった。
(……これまでで、やはり一度だけだ……)
思考は過去に飛ぶ。ある時点からの自分の記憶を掘り返す。
しかし、恭也の考えるとおり、そういった感情を向けた相手はこれまでいなかったと確信できる。
(……初恋、か……)
もう十何年も昔のこと。夜に散歩しているときに偶然に出会った一人の女の子。たった一日のことであったのに、自分の思い出の深い所にずっと居続ける女の子がいる。
茶色の髪をツインテールにし、動くたびに揺れるその髪がまるで少女の活発な気持ちを表すようで面白かった。自分の名前を呼ぶ声が、なぜか心地よかった。笑顔を見るだけで、頬が熱くなったような気がした。
それらすべてが一日の間に得られたものであり、その一日以降、そんなふうに心を乱されることはずっとなかった。
その時の自分の様子を世間一般にいわれるものと照らし合わせるならば、やはりそれは初恋というものなのだろう。恭也はこの十年の間でそれを自覚していた。
そして、その日以降そういったものを感じていないということは、その初恋がいまだに自分の中では生きているのだということも理解できた。それも、この十年の間に自覚していたことだ。
それを自分でわかっていたからこそ、菜乃葉と出会った時、恭也は実はひどく動揺しつつも嬉しさを隠しきれないというような複雑な感情を抱えていたのだった。
それは今でも変わらない。こうして自分の日常の中に、菜乃葉がいるというのは嬉しくもあるのだが、実に複雑でもある。
初恋を抱き、なおかつそれをいまだに維持している恭也にとって、菜乃葉が目の前にいるというのは非常に心臓に悪くもあった。
恭也とて男である。好意を寄せる女性が目の前にいて、何もしたくないというわけでもない。
しかし同時に、恭也は奥手でストイックだ。何かしら行動を起こすことには抵抗があった。なにより、相手の気持ちを理解していないというのに、自分の気持ちをぶつけるというのは何とも可笑しな話だと恭也は本気で考えていた。
まず自分からぶつけるという思考が恭也にはなかった。
だからだろうか。こうして恭也は悩む。
気持ちが通じ合っていない相手に対して、自分が何かするわけにはいかない。しかし、確認するにしても真正面から聞くような真似は無礼である。ゆえに手づまり。それこそ何とも可笑しな話であるのだが。
畳に寝転びながら、恭也は今日もそうして時間を過ごす。ここ最近、考えつつも答えが出ない葛藤を繰り返しているのだが、やはり今日も答えは出ない。
傍から見れば、ただの奥手でヘタレにしか思えないのだが、恭也は真剣に日々悩んでいるのだった。
「恭也くん?」
ふいに、襖の脇の柱を拳で叩く音が聞こえ、その次には控えめな声が部屋に届いた。
それが今まさに考えている相手のものであったので、恭也は一瞬激しく狼狽を見せた。しかし、常のセルフコントロールを発揮してすぐに落ち着かせる。そして、寝転んでいた身体を起こすと、襖の向こうに声をかけた。
「……どうぞ」
声をかけると、一拍置いてから襖が開かれ、茶色の髪をサイドでまとめた今の菜乃葉が部屋に入ってきた。
記憶の中だけではない、最近ようやく慣れてきた現実の菜乃葉の姿を見てわずかに心が震えるが、恭也はすぐに気持ちを落ち着かせた。
「……どうしたんだ?」
突然訪ねてくることなど滅多にないだけに、恭也は至極当たり前な質問を菜乃葉に投げかける。それに対しての菜乃葉の回答は、意外にも苦笑交じりの照れくさそうな顔だった。
「にゃはは……その、図書館に行こうと思ったんだけど……」
「図書館に……?」
恭也は菜乃葉の言葉に、違和感を持った。菜乃葉が図書館に行くことに違和感はない。わりとマメに通っているからだ。
ではその違和感はなぜなのか。今日という日と図書館というキーワードから検索すれば、この街に長く住む恭也にとって答えは簡単であった。
「……今日は、休館日じゃなかったか?」
「そ、その通りでした~」
恭也の言葉を、菜乃葉は恥ずかしそうに首肯した。
菜乃葉とて出身は海鳴で同じなのだが、なにしろ世界が違う。菜乃葉の世界ではこの曜日は空いているはずなのだが、こっちでは休館日の曜日が違っていたのだ。向こうのつもりで行った菜乃葉は、見事に閉ざされた門に阻まれてしまったのだった。
ちなみに、今日は休日ではなく平日である。ではなぜ恭也がいるのかというと、今日は月に一度病院に検査に行く日だからである。
本来はたまの定期検査だけで済まされる恭也の膝なのだが、恭也は基本的に検診をさぼる。その事実をたまたま知った菜乃葉は激怒。自分はこうだったと言っていたというのに、恭也は何をやっているのか! というわけである。
さすがの恭也も菜乃葉の怒りとその気持ちも分かるため、大人しく病院に行った。……だが、その日はちょうど主治医のフィリスは都合が悪く、また今度ということになった。
その翌日フィリスからこの日にどうぞという連絡があり、どうせならこれまでの分も含めて一度徹底的に検査をしましょう! となったのである。
病院自体がそもそも苦手な恭也はたいそう嫌がったのだが、家族はじめ菜乃葉も全員がそれを了承。学校にも許可を申請し、結局一日かけて検査を行うこととなってしまった。
自業自得ながら、恭也は盛大に口元をひきつらせていたとか。
そして今日はちょうどその日。お昼から恭也は病院に出向くことになっているのである。
閑話休題。
ともかく今日が図書館の休館日であることを思い出した恭也は、ようやく菜乃葉が恥ずかしそうにしている理由が理解できた。気づかずに図書館まで行ってしまったことが恥ずかしいのだろう。
なんとなくだが気持ちは分かる。……だが、それではこの部屋に来た説明は出来ない。それを求めると、菜乃葉はうーんと首をひねった。
「……なんとなく、かな」
「………………」
それはもちろん好意からくるものであるのだが、菜乃葉はそれを隠して何ともない様子を作る。今はそれよりも、ただ心地よい空気の方が惜しく感じるからだった。
恭也は恭也で、その菜乃葉の回答を聞いて考え込む。
そんな理由で来るものなのか? 自分だって男だというのに、男として見られていないのではないか? そもそも、そんな気軽に男の部屋に来るなんて……。と、何やら変な方向に思考が進むあたり、恭也もわりと余裕がない。
重ねて言うが、恭也も男である。欲望がないわけではないのだ。
「まぁ……入るか?」
「うん!」
とはいっても、さすがに追い返すのは忍びない。恭也は菜乃葉を招き入れた。
何が嬉しいのか笑う菜乃葉に、恭也も何となくまあいいかという気分になる。同時に緊張もしているのだが、それを気取られるほど耄碌はしていないと思いたい恭也である。
二人が恭也の部屋に入り、座り込む。しかし、もともと盆栽以外に趣味がない恭也である。部屋の中にも何もなく、これといってすることもなかった。
「………………」
「………………」
会話がない。
菜乃葉はきょろきょろと興味深そうに恭也の部屋の中を眺めているが、恭也のほうは見慣れた自室である。気を紛らわせるほど新鮮に思える物など当然なく、菜乃葉がこの部屋を見回す姿を眺めているしかなかった。
そうしてじーっと眺めていると、どうにも気分も落ち着かなくなる。目の前に座る菜乃葉は相変わらず恭也の部屋を見ている。今は本棚に目を向けているようだ。
菜乃葉の格好は私服で、白いタートルネックのセーターに薄い茶色のプリーツスカート、白いニーソックスというシンプルな出で立ちである。ありがちな格好ではあるが、恭也は何となく注目してしまった。
そうして見ると、菜乃葉は意外とスタイルがいいということも分かってしまう。なぜなら、上に着ているセーターは身体にぴったりと合わせる伸縮性に富んだものであり、身体のラインを強調する形になっているからだ。
自然、恭也も視線を向けてしまう。が、すぐにはっとして顔ごと視線をそらした。これまでこういったことに興味がなかったわけではないが、こんなにあからさまな行動を自分がとったこともなかった。そんな自分に恭也ははっきりと動揺していた。
このままではまずい……。
何ともなく、恭也はそう思った。そして、ふと自分の背後から吹いてくる風に気づく。そういえば、空を眺めていた窓が開きっぱなしだった。
恭也は気を紛らわすためにも、立ち上がって窓に寄る。菜乃葉には背を向ける形となるが、顔を見ないですむ方がありがたいと恭也はむしろ感謝する思いである。
そうして窓を閉めると、不意に背後から菜乃葉の声が聞こえた。
「あ……」
「?」
どうしたのか、と問う前に、恭也の背中に菜乃葉の手が触れていた。
「っ!?」
「あ、じっとしてて」
反射的に身を強張らせた恭也に、菜乃葉の優しい声がかけられる。衝撃でむしろ動けなくなってしまった恭也は、意図せずその言いつけを守った形になった。
「はい、とれた! ふふ、恭也くん、さっきまで寝てたでしょ?」
「あ、ああ……」
菜乃葉の問いに生返事を返し、その手に摘まれたものを見る。
それは何本かのい草であった。さっき畳に寝転んだ時についたのだろう。恭也の服装はいつもと同じく黒である。その背中についたい草はさぞ目立ったに違いない。
菜乃葉はそれを発見し、取り去ったのだった。善意で。
「………………」
しかしながら、恭也にとっては非常にそれはヤバい行為だった。
女性に触れることがないわけではない。なのはとはわりとスキンシップをとるし、晶やレンの頭を撫でることもある。美由希には師弟という立場からも必然的に多く触れるし、フィリスのマッサージや診療で触れられることもある。
しかし、である。
なのはや美由希は妹だし、晶やレンは家族だ。フィリスは医者であり、患者に触れるのは当たり前である。
自分が好意を寄せる女性に触れられるという経験は、恭也にはなかった。それも、シチュエーションが自室に、二人っきりである。まさに定番と言ってもいい状況だ。
そうであっても、普段の恭也ならここまで動揺することなく自制出来ていただろう。だが、今日はタイミングが悪かった。ちょうど菜乃葉のことを考え、自分の気持ちを再確認していた時に菜乃葉が来てしまったのだ。
それでいてこのシチュエーションである。いくら老成していても、恭也も若い男。何も感じないわけがなかった。
しかし。だがしかし、である。
恭也は奥手かつ不器用かつ鈍感であるしストイックだ。恭也はともすれば口をついて出そうな言葉や、不意に伸ばしそうになった手を何とか押し込めた。
そうして、一呼吸を入れた後、改めて菜乃葉に声をかける。
「――……菜乃葉……」
「え? なに、恭也くん」
ごく普通に笑いかけてくる菜乃葉が、この時ばかりは少し憎らしくも思えた恭也である。
しかしそんな気持ちはおくびにも出さず、何とか頭の中で考えた言葉を口に出す。
「……少し、小腹がすいた。リビングにでも行かないか?」
戦闘に関してなら臨機応変お手の物だが、日常に関しては異常なほどに気がきかない恭也である。この程度の言葉しか捻り出せなかったことは仕方がないというものだろう。
しかし、幸いにも菜乃葉はその言葉を怪しむこともなく額面通りに受け取ってくれた。
「あ、うん。じゃあテレビでも見ようか?」
「ああ……」
じゃあ行こう、と言って立ち上がった菜乃葉につられるように、恭也も立ち上がる。
襖を開ける菜乃葉の後ろ姿を見ながら、恭也はバレないように大きく息をついた。
(やはり……俺も男だったというわけか……)
当たり前のことではあるのだが、今まで恭也は特に性別を意識していなかっただけに、自分で自分のことをそう感じるのは新鮮である。
もっとも、どうせ知ることになるのなら、できればもう少し違う状況で知りたかったものだとも思う。
今日のような状況は……心臓に悪い。
幼いころの思い出と気持ちを抱いたまま成長した恭也にとって、菜乃葉という存在はまさに劇薬である。
恭也は改めて自身の感情を自覚してしまった。これからも一緒に暮らすだけに、なんだか不安な気持ちになる。主に自制的な意味で。
とはいっても、さすがに恭也なのだから行動に起こすということはないだろう。
しかし、あの一日から停滞していた気持ちが少しずつ大きくなっていくのを理解した恭也は、確実に今までよりも少し違う。
それが菜乃葉との関係にどんな影響をもたらしていくのか。それは、まだわからなかった。
続
==========
あとがき
き、恭也がただの中学生に……! キャラがちげえ、と激しく悩んだ回でした。
ちなみに菜乃葉も家にいる理由は、図書館に行くからということでお休みを貰っているからです。
なんかすっげー悶えたくなる回でした。
というか朝の道場の呼吸のあったまさに以心伝心、
夫婦のような感じで相手の気持ちが分からないぃぃぃ!?
くうぅぅぅぅ、うらやm、イヤなんでもありません・・・・・・。
待ってました。
今回は恭也が自身の気持ちを認識したということで話的に前進ですね
それにしても見ていてこの恭也の行動は何やら可愛らしいんだが第3者視点ではもどかしすぎます。
一気に行動しちゃいなYOって感じです。
長い年月ため込んだ分爆発したときにハートの王様並な告白をしてくれるに違いないと信じてますw
多くの恭×なのカップリング信者達の毎日の巡回が無駄でなかった証の為に…。
我々の日々の活力の為に…
きょう×なのが、ここに帰って来た!!
(゜∀゜)うほーい!!
毎日の巡回は無駄じゃなかったんだぜい!!
これからも応援いたしますよ!!
前回は菜乃葉が、今回は恭也が、それぞれ己の気持ちを再確認してますね。へたれもといストイックな恭也くんに萌えてしまいそうでしたw(ぉ それと、菜乃葉の私服から『絶対領域』を連想してしまった私は……ダメ人間でしょうねorz
長年連れ添った夫婦のようであり、初心な中学生のようでもある。そんなお二人は、早くいくとこまでいちゃって欲しいですねw 孔明・桃子さんの暗躍を期待しましょう!
次回も凄く期待しちゃって待ってます! とは言っても、雪乃こう様の無理のない範疇で書いていって下さい。ずっと応援していますw
それではまた~。
とらはは知っているだけなのですが、すごく面白かったです^^
初々しい二人が^^
管理局サイドもちょっと見てみたいですが、
こっちに来られない以上、動きもあまり無いから面白みに欠けちゃいますね(^^;;
どんどん壊れていくw恭也の行動を楽しみにしています^^
ps.最近私なのはSS書き始めました。
お目汚しかと思いますが、是非ご覧になって感想をばお願いします^^
ああいったやり取りは、二人にとってもう自然なものなんですよw
でも恋愛感情はよくわからないわけですなぁ。
悶えていただけたなら万々歳!
ありがとうございました~^^
>コルノさん
お待たせしましたー。
ついに恭也側も自分の気持ちを正式に自覚して、一歩前進です。
一気に行動しちゃえない恭也を応援してやってくださいw
どんなふうに帰結するのか……。それはお楽しみにw
>a.clineさん
半年近く間が空いた更新です^^;
いやー、申し訳ありませんでした。
とはいえ、やはりこれからもコンスタントに更新とはいきませんが、どうかよろしくお願いします。
>犬吉さん
うちの恭也さんがただの中学生になってしまいましたw
さすがに並行して、というのは厳しい(特に今は時間がない)ので、まつろわが中心でやっていこうとは思っています。
お気遣い嬉しいです。ありがとうございます^^
>ziziさん
お待たせしましたw
前回は菜乃葉、今回は恭也。お互いに気持ちを改めて自覚の回でした~。
それにしても、書いていて私も「もうくっついちゃえばいいのに」と思いました(ぉ
菜乃葉の格好では確かに絶対領域が生まれますねw
関係ないですが、ニーソは最初に着ていた管理局の制服のモノです。
次回はいつになるやらで申し訳ないですが、これからもよろしくお願いします。
>HALさん
はじめましてー^^
初々しさには定評があるうちの菜乃葉と恭也ですw
キャラ崩壊させない程度に色々やるのは大変ですね。ああ、こういうくっつくかくっつかないかっていう恋愛は書いていて楽しいなぁ。
管理局側の方は、当分保留です。まずはこの二人の行方からですね。お楽しみにw
SSのほうには感想と意見を書かせていただきました。率直な気持ちを書きましたので、どうか一つの意見として参考にしていただければと思います。
このカップリングが密かに好きな私には最高の作品でしたが、
最近は更新がなされていないようで残念です。
やはりもう1つの作品の方が優先なのでしょうかね。
とりあえず、いつか続きがUPされる事を願って巡回ルートに入れておきます。
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